歴史の流れから、個人の主観が形作られる
こんにちは。
今回は、僕が偶然得た気づきから、「歴史の流れから、個人の主観が形作られる」ということについて、考えてみようと思います。
僕はかつて、AとBとCという場所に住んだことがありました。
それを主観で見た場合だと、こんな感じ。

例えば…
18歳から22歳まではAに住んで、22歳から26歳までBに住んで、26歳から30歳まではCに住んで…といった感じ。
これを言い換えると、
18歳から22歳の当時のAの記憶
22歳から26歳の当時のBの記憶
26歳から30歳の当時のCの記憶
といった風に記憶されていることになります。
あのころはAに住んでてこんなことがあった、あんな場所があった、と思い出すわけです。
でも、僕は先日、数年ぶりにAの町に行って、気づきました。
「僕がいなかった間にも、Aの町はずっと時間が流れていたんだな…。」
この瞬間に僕は、歴史を主観にした見方をしていることに気づきました。
地球上のどんな場所も、平等に時間が流れている。
その時間が流れているなかで、自分がどの場所の、どの年代の部分を見ていたかということが、自分の主観になっているんだと。
図にするとこんな感じです。

例えば…
Aの町を去ったあと、Bの町で生きていても、Aの町は続いているし、これから住むことになるCの町も以前からずっと続いている。
Aの町は僕が住むずっと前から歴史があって、僕が去ったあとも、ずっと歴史が続いていく。
Aの町は、自分が住まなくなると、一瞬存在しなくなったかのような錯覚に陥るが、それは自分が見なくなっただけなんだ。
自分の主観が先にあるわけではなくて、歴史が存在していて、そこに身を置いて生きて、自分の主観が形づくられる、という順序なんだなと思うのです。
一言で言えば、歴史の流れのなかに入り込んで直接目撃したものが私たちの主観になっているということです。
そして、私たちの主観はもう一つ、間接的に目撃したものでも成り立っています。

図にするとこのような感じです。
自分たちが直接目撃していない、けど同時進行で起こっている歴史を知る仕組みが、この世界には存在しています。
今はスマートフォンが普及したことで、真っ先にそれが浮かびますが、大昔は、その仕組みがなくて、知れたとしても、手紙などによって、何ヶ月とか、何年も先になってようやく知ることができていました。
それが、マスメディアの発達によって、徐々に少しのタイムラグで知ることができるようになり、ついに近年になって、スマートフォンの普及により、タイムラグもなしで知ることができるようになったといえるでしょう。

私たちは、マスメディアやSNSで得た情報を、間接的であっても、自分たちの日常として内包して暮らしています。
私たちの主観には、このような間接的に目撃したものも含まれています。
話をまとめると…
膨大な歴史の流れが先に存在していて、
人はそこの流れのなかに入り込んで、
直接的に見聞きしたことと、
間接的に目撃したことを合わせて、
主観をつくっているんだな、
ということです。
そしてその主観を積み重ねていくことが、その人の人生であり、その人の歴史となっていくということです。
ちなみに、歴史を主観にした見方を思いついた経緯は何かと言いますと…。
僕が直に見知っていないところでも、歴史は紡がれていて、
また、宇宙や植物や建物や道具といったものは、人よりも長い時間軸で存在していて、
そういったことを鑑みると、それらのものが人よりも大きな存在に感じられてきて、人を中心にした発想から、そういったものを中心にした発想に思い至っていったわけです。
僕はこれからも、大きな存在に思いを馳せながら、主観を形成して、人生を紡いでいこうと思います。
最後までお読みいただいて、ありがとうございました。
天寿に逆らえないとしたら…?
こんにちは。
僕は今、高齢者施設の厨房に勤めています。
勤めているなかで、気づいたことがありまして…。
施設では、90歳を越えていても普通に食事が食べられている人もいれば、70とか80歳くらいで、もう普通に食事をするのがだいぶ厳しい人もいます。
90歳越えてお元気な人もいれば、70とか80歳くらいで残念ながら亡くなってしまう方もいます。
こういうのを間近で見ていると、人の老い方って人それぞれだな、とすごく感じます。
人生100年時代とはいわれておりますが、やはり寿命・天寿のようなものには逆らえないのでしょうか…。
ということは、ひょっとして、長生きしたくてもできない可能性があるってこと?
人生いつ終わるのかわからないのか…。
じゃあ、どうしたらいいんだろう❓❓
うーん…

うーん…

……❗❗❗

いつ死んでもいいように、死ぬとき後悔のないように、今を全力で生きるしかないな❗❗
そんなスタンスで、僕は今日も生きていきま~す👍
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※写真はすべて、写真ACよりダウンロードしました。
個性よキラキラ輝いて
こんにちは。
最近、うれしいことがあった。
ある勉強会(合宿)に参加してきたんだけど、本当に自分が変わるきっかけになったし、最高の仲間とも出会うことができた。
参加してきて、本当によかった!
終わってから、ずっと心に響いている曲があってね。
ミレイさんの、「Flare」という曲。
この曲は、歌詞全部がよくて、歌の思いにすごく共感できるから、歌うと自分の思いを載せることができて、気分良く歌うことができる。
この曲のサビの一節、「一番に光れ」という歌詞。
この一節を聞いて、僕の好きな作家である山口周さんの「役に立つ」市場と「意味がある」市場というお話を思い出す。
「役に立つ」市場は、例えば、スマホのOSだったりとか、検索エンジン。勝者総どりで、勝つのは一人。負ける人が出てくる。
でも、「意味がある」市場では、多様性が生まれてくる。独自のポジションを築くことができる。例えば、有名な車のメーカーは、機能的に有能な車を売っているというよりも、ブランドを売っているので、唯一無二の存在である。
(山口周『ニュータイプの時代』を参照)
これは市場の話なんだけど、人の在り方にも援用できると思っていて。
一番を目指す人生を選ぶか、自分の個性や強みを生かした人生を選ぶか…。
自分だったら、後者を選びたい。
仮に、「一番になれ」というメッセージだと、勝者総取りを想起させてしまう。
誰が一番明るく光れるか競争、みたいな。
でも、「一番に光れ」というフレーズは、みんなそれぞれが一番だと、多様性を尊重したフレーズとなっている。
みんなそれぞれの、最高出力で光る、ということ。
例えちょっと周りよりも暗めでも、精いっぱい光っているなら、それでいい!、みたいな。
ここがいい!
勉強会で、参加していた仲間の個性(正確には、本来のあるがままのその人の部分)に触れて、みんなの個性がキラキラ輝いて欲しいな、と今はそんな思いでいっぱい。
その思いを込めて、またカラオケで歌ってこようかな。
最後までお読みいただいて、ありがとうございました。
miletさんの「now」が好き。
私は歌手のmilet(ミレイ)さんが好きです。
公式のプロフィールにあるように、「ハスキーかつ重厚感のある独特な歌声」がお気に入りです。
そんなmiletさんの曲を聞いているなかで、よくでてくるフレーズを見つけました。
それは、「now」です。
例えば、8月にリリースされる3rdアルバム、「5am」からただいま先行配信されている新曲、「Living My Life」という曲。
途中で、「now」が出てきますが、na,ooh〜というように、語尾を伸ばすように歌っています。
このような歌い方の「now」は、SEVENTH HEAVENという曲の冒頭にも出てきますし、STAYという曲のサビもna,ooh〜という形で歌っています。
このような「now」は、miletさんの表現力と唯一無二の歌声が存分に発揮されていて、思わず聞き入ってしまいます。
また、シンプルな形での「now」もたくさん見受けられます。
<inside you>
inside you now
→儚げな「now」
<Tell me>
just tell me now
→これも少し、語尾が伸びます。神聖な響きがします。
<You & I>
So we don't need it now
→now!という「now」。これで一気に盛り上がります。
<Come Here(Session1)>
Don't tell me now
→寂しげな「now」。
<Loved By You>
Get out of my head right now
→ニャウ、のような「now」
<Always You>
'Cause it's the way we go now
→一瞬の「now」
<Waterfall>
Hey,now その手のなかでdance now
→かなり低めの「now」
<I gotta go>
I gotta go,I gotta go
I'm leaving now
→寂しげな「now」。
今思いつくだけでも、これだけありました。
「now」という言葉は、歌い方によって、盛り上げたり、はたまた寂しげにさせたり、いろいろな聞かせ方ができるようです。
これからも「now」を通じて、miletさんの様々な表現に触れられたらいいなと思います♪
最後までお読みいただいて、ありがとうございました。