考えるカメの考察日記

自分の考えたことを、気の向くままに書いていきます。

新聞が教えてくれるのは〇〇〇という着眼点

あくまで、私個人の一意見として書いてみます。
新聞なんか嫌いだ!読まない!という方は、静かにこの記事をスルーしてもらえるとありがたいです。
 
今の時代に、新聞を見ている方は、少なくなってきているかもしれません。
 
そのかわりに、普段は他の様々な媒体でニュースなどの情報を得ていると思われます。
 
筆者は、20代ではありますが、新聞から情報を得ています。
 
その理由として、新聞と他の媒体とでは、ニュースに対しての価値づけが異なっており、そこに新聞の特色があると感じているからです。
 
それが、タイトルの〇〇〇に入るものなのですが、ずばり「影響力」です。
 
 
ネット上の様々な媒体では、「閲覧数」とか「人気の順」などで、記事が掲載されるケースが多いと思います。
 
また、ネット上で情報を判断する基準というのも、「面白いか、面白くないか」とか「自分が気に入ったものかどうか」という類であることが多いのではないでしょうか。
 
本来、ライフハックであるとか、エンタメのようなジャンルのものであれば、そういった情報の選択の仕方であってもよいと思います。
 
しかし、それと同じような感覚で、ニュースを扱ってもよいものでしょうか。
 
現状は、ライフハックも、エンタメも、ニュースも、同じ土俵に載せられ、「面白いかどうか」という理由で価値づけされている、というのが現状であると思われます。
 
ですが、本来ニュースを面白いか面白くないか、好きか嫌いかで判断することに、なんの意味があるのでしょうか。
 
新聞では、大きなニュースは大きく取り上げます。
 
それはなぜかといえば、そのニュースが社会に対して、大きな影響力をもつからです。
 
その影響力というのは、きわめて広い範囲に及び、そのニュースが好きだろうが嫌いだろうが、我々に関係してきます。
 
だから、知っておく必要があるのです。
 
新聞の紙面では、題字や文字の大きさ、レイアウトで記事の載せ方にメリハリをつけています。
 
そうすることで、社会への影響力はどの程度か、ということが一目でわかるようになっています。
 
 
紙面には、その新聞社の意向が反映されていたりする、といったような、種々の批判があることは承知しています。
 
新聞も万能ではありません。
 
ですが、新聞を通じて、影響力に基づいてニュースを得る態度を身に着けることができる、ということは事実ではないでしょうか。
 
真実ではない情報が真実として扱われるなど、メディアリテラシーが問われている昨今、こうした着眼点をもつことがその解決策の一助となりうると考えられます。
 
私たちがどのような情報を得て行動するかということもまた、大きな影響力をもっているのです。