こんにちは
今、HSPという概念が広まってきているのですが、今回は、その背景について考えてみたいと思います。
また、この現状から見えてくるものについても考えてみます。
HSPについて
HSPは、Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)の略で、アメリカの心理学者・エレイン・アーロン博士が提唱した概念です。
繊細で感受性が豊かで、敏感な人、といった意味です。
個人的に、「なんだか人よりも傷つきやすい、すぐに疲れてしまう……。」と感じる人が当てはまる傾向があると思います。
5人に1人の割合で存在する、といわれています。
HSPは病気ではなく、気質です。
HSPは治すことはできませんが、自分を理解したり、人とつながるためのツールになります。
近年、関連の本が出版されたり、メディアで取り挙げられたりすることも増えて、以前よりも広まってきていると感じられます。
私自身も、HSPに当てはまると自認しています。
そんな私が、HSPがたくさんの人に受け入れられている背景などについて、思いを巡らせてみました。
社会的背景
まず、社会的な背景について考えてみます。
かつての働き方・生き方というのは、どちらかといえば、画一的なものでした。
会社が終身雇用であったり、性別役割分業があったり、大量生産・大量消費があったり、といったものです。
社会の誰もが、このような価値観に合わせる、といった風潮がありました。
しかし、1990年代にバブル経済が終わったあと、そのような価値観は退潮していきました。
それまでの価値観に替わって、社会の多様性を認める動きがでてきました。
今まで見過ごされてきたような人々にも、光があたるようになってきたのです。
障碍(がい)をもった方々、セクシャルマイノリティーの方々、内向型の方々、難病をもった方々、などです。
この流れと並行して、階層的な組織よりも、水平的な組織が力をもつ、という変化も起きています。
インターネットの技術の発展によって、場所や地域を問わず、様々な人とつながることができるようになりました。
今まで光があたってこなかった方々は、これによってつながりをつくることが、以前よりも容易になりました。
また、ネット上においては、先ほど言及した方々以外にも、様々なつながりが生まれています。
自分の趣味や、好きなアイドル・キャラクターなど、といったものです。
このように、名前がついている概念であれば、その名前を掲げれば、集まることができます。
その一方で、問題は、はっきりとわかりやすい名前がついていない場合です。
趣味などに当てはまらない、グレーゾーンの部分の場合は、何人かに当てはまるものであっても、名前がついてないかもしれません。
そのような思いに応えるものの一つが、HSPであるといえるのではないでしょうか。
「なんだか傷つきやすい、疲れやすい」という状態は、病気ではないですが、生きていく上ではつらさを感じます。
気のせい、というままにはしておけません。
このような方々は、HSPという概念に出会い、自分もその一人なのだと、まるで大きな集団の一員になったように感じることで、安心感を覚えるでしょう。
社会のなかで、自分だけだと思っていた症状が、実は自分以外の多くの人にも当てはまるとわかれば、とても心強いでしょう。
集団に所属しているという意識
もう一歩踏み込んで、この現状から見えてくるものについて考えてみます。
実際のところ、HSPという概念にあてはまったと感じていらっしゃる方でも、厳密に検査しているわけではないため、もしかすると、明確にあてはまっているわけではないかもしれません。
しかし、私はそれでもよいと思っています。
一昔前よりも、私たちは多様な価値観のもとで、自由に生きられるようになっています。
自由というのは、一見すれば、よいことのように思えます。
しかし、実際のところは、うまくいく人とそうでない人の間で、格差が生まれています。
社会には、うまくなじめるような人もいたりします。
一方で、うまくなじめずに、孤独感を味わっている方もたくさんいます。
このような方々は、何らかの居場所を求めているはずです。
そういった方々は、ネット上で、自分の好きなことであったり、置かれている立場、感じている症状を、自分で発信するか、もしくは、ネット上で同じような人を見つけることによって、集団に所属しているという安心感が得られると考えられます。
そのように、集団に所属していると実感できているという状態が、大事なのではないでしょうか。
そのことが、自らを肯定して、受け入れることにつながると考えられます。
最後までお読みいただいてありがとうございました。