考えるカメの考察日記

自分の考えたことを、気の向くままに書いていきます。

HSPから見えてくるもの

こんにちは

今、HSPという概念が広まってきているのですが、今回は、その背景について考えてみたいと思います。

また、この現状から見えてくるものについても考えてみます。

 

 

HSPについて

 

HSPは、Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)の略で、アメリカの心理学者・エレイン・アーロン博士が提唱した概念です。

繊細で感受性が豊かで、敏感な人、といった意味です。

個人的に、「なんだか人よりも傷つきやすい、すぐに疲れてしまう……。」と感じる人が当てはまる傾向があると思います。

5人に1人の割合で存在する、といわれています。

HSPは病気ではなく、気質です。

HSPは治すことはできませんが、自分を理解したり、人とつながるためのツールになります。

近年、関連の本が出版されたり、メディアで取り挙げられたりすることも増えて、以前よりも広まってきていると感じられます。

私自身も、HSPに当てはまると自認しています。

そんな私が、HSPがたくさんの人に受け入れられている背景などについて、思いを巡らせてみました。

 

 社会的背景

 

まず、社会的な背景について考えてみます。

 

かつての働き方・生き方というのは、どちらかといえば、画一的なものでした。

会社が終身雇用であったり、性別役割分業があったり、大量生産・大量消費があったり、といったものです。

社会の誰もが、このような価値観に合わせる、といった風潮がありました。

 

しかし、1990年代にバブル経済が終わったあと、そのような価値観は退潮していきました。

 

それまでの価値観に替わって、社会の多様性を認める動きがでてきました。

今まで見過ごされてきたような人々にも、光があたるようになってきたのです。

障碍(がい)をもった方々、セクシャルマイノリティーの方々、内向型の方々、難病をもった方々、などです。

 

この流れと並行して、階層的な組織よりも、水平的な組織が力をもつ、という変化も起きています。

インターネットの技術の発展によって、場所や地域を問わず、様々な人とつながることができるようになりました。

今まで光があたってこなかった方々は、これによってつながりをつくることが、以前よりも容易になりました。

 

また、ネット上においては、先ほど言及した方々以外にも、様々なつながりが生まれています。

自分の趣味や、好きなアイドル・キャラクターなど、といったものです。

このように、名前がついている概念であれば、その名前を掲げれば、集まることができます。

その一方で、問題は、はっきりとわかりやすい名前がついていない場合です。

趣味などに当てはまらない、グレーゾーンの部分の場合は、何人かに当てはまるものであっても、名前がついてないかもしれません。

そのような思いに応えるものの一つが、HSPであるといえるのではないでしょうか。

「なんだか傷つきやすい、疲れやすい」という状態は、病気ではないですが、生きていく上ではつらさを感じます。

気のせい、というままにはしておけません。

このような方々は、HSPという概念に出会い、自分もその一人なのだと、まるで大きな集団の一員になったように感じることで、安心感を覚えるでしょう。

社会のなかで、自分だけだと思っていた症状が、実は自分以外の多くの人にも当てはまるとわかれば、とても心強いでしょう。

 

 集団に所属しているという意識

もう一歩踏み込んで、この現状から見えてくるものについて考えてみます。

 

実際のところ、HSPという概念にあてはまったと感じていらっしゃる方でも、厳密に検査しているわけではないため、もしかすると、明確にあてはまっているわけではないかもしれません。

しかし、私はそれでもよいと思っています。

 

一昔前よりも、私たちは多様な価値観のもとで、自由に生きられるようになっています。

自由というのは、一見すれば、よいことのように思えます。

しかし、実際のところは、うまくいく人とそうでない人の間で、格差が生まれています。

社会には、うまくなじめるような人もいたりします。

一方で、うまくなじめずに、孤独感を味わっている方もたくさんいます。

このような方々は、何らかの居場所を求めているはずです。

そういった方々は、ネット上で、自分の好きなことであったり、置かれている立場、感じている症状を、自分で発信するか、もしくは、ネット上で同じような人を見つけることによって、集団に所属しているという安心感が得られると考えられます。

そのように、集団に所属していると実感できているという状態が、大事なのではないでしょうか。

そのことが、自らを肯定して、受け入れることにつながると考えられます。

 

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

将来の高齢者とITとの関係性とは

私は、高齢者とITの関係性に関しての、ある疑問をもっています。

 

今の高齢者の幼少期にはまだ、ITは普及していませんでした。

そのため、年を重ねてから、後天的にITと接していることになります。

そのような方々は、IT機器の活用に、とても苦労されていることが多いです。

 

しかし、少し下の世代の方の中には、最新のITを使いこなしている方もいらっしゃいます(技術者など)。

もっと下の世代であれば、スマホは日常的に使うものになっています。

このような、ITと接してきた世代が将来、高齢者になった場合に、ITとの付き合いかたは、どうなるのでしょうか?

 

使い慣れているIT機器であれば、年を重ねてもそれを使いこなすことはできるのではないかと考えられます。

しかし、今ある機器が将来も存続しているかどうかはわかりません。

新しいIT機器もでてくることでしょう。

 

このような状況下において、以下のような仮説が思い浮かびました。

・昔の機器(今のスマホなど)に思い入れがあって、もし残っている場合、新しい機器に手を出そうとしない?

・若いころにスマホを使っていた世代も、年をとれば、将来の新しい機器に順応できなくなる?

・若いころ、様々なIT機器に触れていたから、年をとってもその傾向は変わらずに、将来の高齢者はIT機器を使いこなすようになる?

・今の高齢者の中でもIT機器を使いこなしている人とそうでない人がいるように、最新のIT機器に順応できるかは、結局人それぞれなのか?

 

実際のところ、時代が進んでみないとわからない部分もあるかと思いますが……。

このようなことが気になってます、という話でした。

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

チャットモンチーの歩みから見えてくるもの

こんにちは

みなさんは、チャットモンチーというバンドをご存知でしょうか?

ガールズバンドの歴史を変えたといっても過言ではないロックバンドであり、その影響力は多方面に及んでいます。

今回、この文章で注目したいのは、音楽理論ではなくて、その活動形態についてです。

(音楽談義を期待していた方、ごめんなさい……。)

今はすでに活動を終了してしまっていますが、チャットモンチーの歩んだ道のりというのは、21世紀の今、これからの生き方を考える上での示唆に富んでいると考えられます。

そのことについて、今注目されている概念である、「マルチポテンシャライト」と合わせて考えてみたいと思います。

 

 

チャットモンチーの歩み

 

まず始めに、チャットモンチーの歩みを簡単に振り返ってみます。

 

チャットモンチーは、2005年にメジャーデビューしました。

当時のメンバーは、橋本絵莉子さん(Vo./Gt.)、福岡晃子さん(Ba.)、高橋久美子さん(Drs.)の3人でした。

デビューから2011年までの間に、この3人体制で多くのヒット曲を生み出すなどの精力的な活動を行いました。

しかし、2011年にドラムの高橋久美子さんが脱退します。

絵莉子さんと晃子さんの2人体制となったチャットモンチーは、ここからいくつかの「変身」を遂げながら、独自の道を歩み始めます。

 

まず2人は、サポートのドラムを入れて3人体制の音楽を維持するのではなく、2人で音を鳴らす道を選びました。

ベースだった晃子さんが、驚くべきことにドラムに転向します。

絵莉子さんがボーカルとギター、晃子さんがドラム、という演奏形態を始めとして、曲ごとに演奏する楽器を交代するというスタイルをつくりだしました。

2013年までの間に、このスタイルでシングルとアルバムの発売、全国ツアーの開催などを行いました。

 

その後、約1年間、絵莉子さんの産休で活動を休止します。

 

そして2014年、チャットモンチーは新たな演奏スタイルで活動を再開します。

キーボードとドラムのサポートメンバーを入れて4人で音を鳴らす演奏スタイルです。

サポートメンバーを男性2人、女性2人のそれぞれ2組つくり、それぞれを「男陣」、「乙女団」と名付けます。

この演奏スタイルで2016年までの間に、シングルとアルバムの発売、武道館公演、地元徳島でのフェスの開催などの活動を行いました。

このフェスの開催までの、10周年記念の一連の活動を完走し、完全燃焼して「やりきってしまった」という2人は、新たな演奏スタイルを模索し始めます。

 

そしてその年の9月から、2人はパソコンを活用したデジタル楽器とともに演奏するという新たなスタイルで活動を再スタートさせます(通称チャットモンチー・メカ)。

2枚のシングルを発表するとともに、これまでの楽曲をリアレンジするかたちで演奏するツアーを2017年に開催しました。

そして、このツアーを行うなかで、チャットモンチーを終わらせることを決めた2人は、翌年の2018年にメカスタイルに振り切ったラストアルバムを発表し、7月の武道館公演と、2回目の地元徳島でのフェス開催をもって活動を「完結」しました。

 

このように見てみると、チャットモンチーは様々に活動スタイルを変えていったことがわかります。

その道のりは、とてもユニークなものであったといえるでしょう。

 

 

マルチポテンシャライトについて

 

一方で、マルチポテンシャライトは、前のブログでも少し言及しましたが、エミリー・ワプニックさんが、同名のタイトルの書籍で紹介した概念です。

この本では、「さまざまなことに興味をもち、多くのことをクリエイティブに探求するひと」と定義されています。

この本では、マルチポテンシャライトの方の、4パターンの働き方のモデルが紹介されています。

 

・グループハグ・アプローチ

(ある一つの多面的な仕事に就いて、その中でいくつもの分野を行き来する)

 

・スラッシュ・アプローチ

(パートタイムの仕事やビジネスを掛け持ちし、精力的にその間を飛び回る)

 

アインシュタイン・アプローチ

(安定した「ほどよい仕事」をしながら、情熱を注げる取り組みをほかに持つ)

 

・フェニックス・アプローチ

(数か月、数年ごとに業界を移り、興味を一つずつ掘り下げていく)

 

の4つです。

 

私はこの概念を個人の生き方のみならず、団体の生き方(在り方)にも適用できるのではないかと考えています。

 

 

チャットモンチーとマルチポテンシャライト

では、チャットモンチーの歩みを、「マルチポテンシャライト」という概念をつかって、解釈してみたいと思います。

 

一般的な音楽活動を考えてみると、

・一定の体制のもとで、様々な音楽の要素を取り入れて、そのバンド(個人)の可能性を追求していく。それによってバンド(個人)の多様性が広がっていく。

・多様性が広がっていくなかでも、中心には、バンドのやりたい方針のような軸が存在している。

このように言い表せるのではないでしょうか。

 

これは、マルチポテンシャライトの4パターンのなかでは、グループハグ・アプローチに当てはまると考えられます。

 

チャットモンチーの活動も、これに当てはまっているといえるでしょう。

 

しかし、他のバンドや個人と違うのは、これに加えて、フェニックス・アプローチもとっている点ではないでしょうか…!

 

彼女たちは、演奏スタイルを一変させながら、数年ごとに「変身」していきました。

やってみたいことを見つけて、いくつかの演奏スタイルに数年ごとに乗り換えていったのです。

フェニックス・アプローチを取り、そのフェーズごとにグループハグ・アプローチをとっていた、と考えられます。

 

 

チャットモンチーの歩みから見えてくるもの

チャットモンチーは、メンバーが脱退したあと、従来の路線を継続していくのではなく、積極的に変わっていく道を選びました。

3人体制だけにこだわるのではなく、様々な演奏スタイルにも挑戦していくというのは、新たな分野に飛び込んでいくということであり、それによって、チャットモンチーは、新たなバンドの一面を切り開いていきました。

もちろん、誰にでもできることではないのかもしれません。

しかし、フェニックス・アプローチをとることで、バンドのもつ様々な可能性が引き出されたといえます。

チャットモンチーの歩みというのは、まったく新しい分野に飛び込むことで新しい可能性を引き出すことができるということを、身をもって示してくれているといえるのではないでしょうか。

 

私たちは変化の速い時代のなかにいて、かつ、平均寿命は長くなっています。

長い人生を生きていくなかで、その時々で、価値観も移り変わっていきます。

数年ごとのスパンで新しい分野に飛び込んでいくというのは、その時々の変化に応じて生きていくうえで、一つのヒントとなり得るのではないでしょうか。

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

生きづらい方へ

こんにちは

今現在、生きづらさを感じるなどして、辛い思いをされている方も多いと思います。

事実、今は旧い価値観と新しい価値観が入り混じっており、難しい時代です。

しかし、人生がうまくいかない場合にどのように対処したらいいのかは、教わることもなかなかありません。

今回は、生きづらさを解消する上で助けとなるような概念や本をご紹介していきたいと思います。

(ちなみに、各項目ではそこまで詳しい説明はできていないので、ネットで検索していただくとより多くの情報を得ることができます。)

 

 

杉田さんのブログ(悩みを可視化する)

 生きづらい…と悩んでいるときに、自分の心を客観的に見たい、という方は多いと思います。

しかし、そのようなときに、その心の状態を言語化するのはなかなか難しいものです。

そんなときにおすすめなのは、心理セラピストの杉田隆史さんのブログです。

杉田さんは、「悩んでない人の悩み相談」という看板を掲げて、ここ数十年、様々な方のお悩みの相談を受けられてきました。

この経験を踏まえて、このブログでは、様々な心の状態を言語化してくれています。

「何をしたらいいかわからない」、「なんとなくツライ」、「自信がない」といった、漠然とした思いでも大丈夫です。

このブログでは、そういった思いにも丁寧に答えてくれます。

たくさんの記事があるので、今のあなたにあった記事も、きっと見つかるのではないでしょうか。

 

おすすめのページです。

ameblo.jp

 

ブログのトップページです。

www.mental-travel.com

 

内向型/外向型(自分の得意分野を知る)

 「なぜ周りの人のように自分はなれないのか…」

そんなふうに悩まれている方もいらっしゃるかもしれません。

そんな方に知っておいていただきたいのは、世間には外向型の人と内向型の人がいるということです。

今の社会では外向型が有利です。

世間では一般的に、社交的であったり、元気いっぱいな人が好まれる傾向があります。

このような性格の人は、外向型です。

それに対して、内向型の人は、一人で過ごすのが好きで、自分のペースで穏やかに生きることを好みます。

外向型に有利な社会のなかで、内向型の人は、外向型の人のようにはなれないと感じ、外向型の人とのギャップを感じることになります。

そういったことが、生きづらさにつながっていくことが考えられます。

 

大事なのは、内向型の人は外向型に無理になろうとしてはならないということです。

外向型の人と内向型の人では、行動の仕方も好みも異なります。

内向型にも外向型にも、長所と短所があります。

お互いに不得意なところを補いあって、社会は成り立っています。

内向型の人は、内向型だからこそできることがあるので、まずは内向型について知ってみてください。

内向型プロデューサーのカミノユウキさんのサイトをのぞいてみてください。

 

kaminoy.com

 

 この方は、本も出版されています。

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HSP(敏感だ・気にしすぎる方へ)

 

 「なんだか人よりも傷つきやすい、すぐに疲れてしまう……。」

そんな思いをされている方もいると思います。

HSPという言葉をご存知ですか?

繊細で感受性が豊かで、敏感な人、といった意味です。

HSPは、Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)の略で、アメリカの心理学者・エレイン・アーロン博士が提唱した概念です。

HSPは病気ではなく、気質です。

HSPは治すことはできませんが、自分を理解したり、人とつながるためのツールになります。

当てはまると、「このままでいいのだ」、と自分を肯定し、安心できます。

また、SNSで発信されている方や、交流会を通じて、同じHSPの気質をもつ人とつながることもできます。

HSPカウンセラーの武田友紀さんのサイトや本をご紹介しておきます。

 

sensaisan.jp

 

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HSPのHSS型(波乱万丈な人生の方へ)

 また、HSPの人の中には、HSS型という刺激を求める部分が強い方がいらっしゃいます。

このHSPのHSS型の人は、私が見てきた限りでは、波乱万丈な人生を送っていらっしゃる方が多いです。

経歴にしてみると、1年単位で、何かして、やめて、海外行って、戻って、また何かして、やめて、みたいな感じの方もいらっしゃいます。

何かを始めて、それに飽きる、というスピードが圧倒的に早いです。

このような気質の方はまったく型にはまらないので、生き方に悩む人も出てくるみたいです。

しかし、この気質の方は、裏を返せば、それだけ人生経験が豊かであり、その方にしかできないこともあると思うので、プラスに捉えていただきたいと思います。

この気質をお持ちの、HSP才能開発サポーターの、なおさんのブログをおすすめしておきます。

 

iju-joshi.com

 

この方は、「HSPHSSあるある」という本も出版されています。

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高知能(周りと話が合わない方へ)

 該当する率はあまり多くないかもしれませんが、高知能であるということも、生きづらさを感じる原因の一つになりえます。

ここでご紹介したいのが、安間 信さんの、「高知能者のコミュニケーショントラブル」という本です。

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この本によると、知能110から130までをやや高IQ、130から150までを高IQ、150以上を超高IQ、と定義しています。

IQが高くなればなるほど、該当する人数は少なくなっていきます。

知能指数が20違うと会話がなりたたない」という説を前提とした場合に、IQが高くなればなるほど、話が通じる人は少なくなっていきます。

このような理由で、高知能の人は、会話が成り立つ人が身近には見つかりづらいことから、生きづらさを感じやすいといえます。

この本では、さらに、高知能の人とそうでない人との関係性についても言及されており、人間関係を考えるうえでもおすすめです

 

 

マルチポテンシャライト(飽き性でやりたいことが多くある方へ)

 「一つのことが長続きしない……」、「何か始めてもすぐに飽きてしまう……」、「習熟する前に飽きる、もしくはすぐ習熟してしまう。」

そんな方はマルチポテンシャライトかもしれません。

エミリー・ワプニックさんの「マルチポテンシャライト」という本をおすすめします。

 

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マルチポテンシャライト(MULTI-POTENTIALITE)(多くの潜在能力をもっている人)とは、この本のなかでは、「さまざまなことに興味をもち、多くのことをクリエイティブに探求するひと」と定義されています。

器用貧乏、という言葉もこの概念に入ってきます。

この本では、マルチポテンシャライトの方の、4パターンの働き方のモデルが紹介されています。

 

・グループハグ・アプローチ

(ある一つの多面的な仕事に就いて、その中でいくつもの分野を行き来する)

 

・スラッシュ・アプローチ

(パートタイムの仕事やビジネスを掛け持ちし、精力的にその間を飛び回る)

 

アインシュタイン・アプローチ

(安定した「ほどよい仕事」をしながら、情熱を注げる取り組みをほかに持つ)

 

・フェニックス・アプローチ

(数か月、数年ごとに業界を移り、興味を一つずつ掘り下げていく)

 

の4つです。

 

それぞれの詳しい説明はここでは省きます…。

通常、やりたいことがいくつもある、という場合に、一つを選ばなくてはならない、と考えがちです。

しかし、この概念について知ると、やりたいことは選ばずに全部やりたい、ということを肯定できるようになります。

また、数年ごとにまったく違う業種に乗り換える、もしくは、複数のプロジェクトを同時並行で進める、といった生き方も肯定してくれます。

飽き性で、やりたいことがたくさんある、という方にはおすすめです。

 

生きづらさを解消するための、実践的な取り組みを行うための本

生きづらさを解消していくうえで、どのような取り組みをしていったらいいのか、ということを教えてくれるのが、なにおれさんの本です。

 

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なにおれさんは、ご自身でも生きづらい思いをされてこられて、そこからミニマリストのような暮らし方に希望を見出して、そこから努力をした末、結果的に自分のしたい生き方を実現されました。

そんななにおれさんが、生きづらい人の力になりたい、という思いで制作したのが、このシリーズだそうです。

生きづらい思いをしている方に届いてほしいという思いで制作されているとのことなので、一度なにおれさんの本に触れてみてはいかがでしょうか。

 

 おわりに

 いかがでしたでしょうか?

一つでもご自身に該当するものがみつかり、人生を前に進ませることができましたら幸いです。

これらの概念の複数に当てはまったり、一つの概念にうちの一部分にしか当てはまらなかったり、ということもあると思います。

大事なのは、これらの概念に自分をはめるのではなく、これらの概念を活用して、自身の人生をより良いものにしていく、ということではないかと思います。

私は、直接は何の力にもなれませんが、生きづらさを抱えていたり、辛い思いをされたりしている方の味方でありたいと思っております。

どうか、無理をせず、皆様一人ひとりが、自分らしく生きていくことができますように。

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

 

2020年9月30日:記事の一部改良を行いました。

2021年5月7日:記事の一部改良を行いました。

2023年6月7日:記事の一部改良を行いました。

日本においてITはどのように普及していくのか

日本において、ITはどのように普及していくのか、と考えてみます。

今はITの進化がとても速い時代ではありますが、それがどのように社会に浸透していくのかを考えてみると、そこまで単純なものではないのではないかと考えられます。

 

個人と法人との違い

 

まず、個人と法人の、それぞれの普及の様子についてみてみます。

 

個人向けの商品でいえば、スマートフォンが広く普及していますが、ほかにもAIスピーカーや、ウェアラブル端末が思い浮かびます。

また、家電の進化が目覚ましく、IoTを搭載した家電がこれから普及するのではないかといわれています。

商品の中身を通知してくれる冷蔵庫だとか、健康状態を自動で調べてくれる洗面台などが、これから登場してくるといわれています。

未来の家のイメージとして、このようなハイテクな家電に囲まれて生活しているイメージがありますが、よく考えてみれば、すぐにすべての家がこのような家になるわけではありません。

IT機器を購入するかどうかは人それぞれで、積極的に取り入れたい人もいれば、取り入れたいとは思わない人もいます。

向こう何十年の長いスパンのなかで、そのような機器が主流となるなどして、だんだんとこのような機器が導入されていくことによって、今イメージされているような未来の家の姿になっていくのではないかと考えられます。

 

次に、法人においてITがどのように普及していくのかについて考えてみます。

会社などの法人においては、少子高齢化などの環境の変化によって、業務効率化が要求されています。

その要求とも相まって、多くの企業がビジネスチャンスとみて最新のITを導入しようとしています。

実際、5Gによって実現されることの例として、離れた場所にある機械の遠隔操作(手術、工事現場の機械など)であったりとか、IoTを利用した設備の使用状況の把握(インフラやタイヤとの通信)などといったように、法人向けの施策が多く挙げられています。

 

このように、個人と法人におけるITの普及のスピードというものには開きがあるということがわかります。

 

 

 個人にITが普及していく別の回路

 

個人にITが普及するのには時間がかかると先ほど言及しましたが、個人にIT機器が普及していく回路として、法人の製造したIT機器を直接個人が購入する、というもの以外にも別のものも考えられます。

例えば、法人が一般市民にサービスを提供する場合に、業務効率化の観点でITを導入する事例です。

スーパーやコンビニのレジや施設の窓口の対応を自動化したり、タブレット端末を使って必要事項の記入を求めたり、といったものです。

また、会社が用意したIT機器を個人が利用する、という事例も考えられます。

会社が健康管理のためにウェアラブル端末を貸与したり、最新の家電が備えられたアパートを会社がつくって、個人がそれを借りたり(社宅か社宅でないかは問わない)、といったものです。

 おわりに

 

ITが進化している時代とはいっても、社会全体に普及していくわけではありません。

どれほどITが進化しても、個人への普及度合にムラがある限り、社会全体で最新のITが享受されている、という状態には至らないと考えられます。

個人に、ITの機器の購買を強制することはできません。

法人において最新のITの知見が導入され、法人の側からITが浸透していく。

個人は、法人が提供するサービスなどを通じてその恩恵を享受する一方で、家庭においてITの機器が少しずつ浸透していく。

そのようにして、社会においてITが普及していくのではないでしょうか。

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

世代についての話

はじめに 

私は今、この世の中において、世代というものに注目すべきではないかと考えています。

世代の交代というのは、これまでも繰り返されてきました。

祖父母がいて、両親がいて、その子どもがいて、その子どもの子どもがいて…という流れは、今までもずっと存在してきました。

しかし、20世紀以降の世代の交代というのは、それ以前の時代の世代の交代とは大きく異なっています。

そのことが、今の社会の背景に存在しており、様々な場面に影響を及ぼしていると考えられます。

 

今の時代における世代

 

20世紀よりも前の時代と比較して、20世紀よりも後の時代の特徴として挙げられるのが、テクノロジーの急速な進歩などによる、世の中の急激な変化です。

例えば、1700年から1800年までの100年間の変化と、1900年から2000年までの100年間の変化を考えてみてください。

1700年の人間が1800年の世界に行っても、周りの景色はさほど変化がないように思えるでしょう。

しかし、1900年の人間が2000年の世界へ行ったら、どう思うでしょうか。

同じ場所にいるとは思えないほど、周りの景色は変化したように感じられるはずです。

 

 例として、一つの家族のなかで、1930年代生まれ、1960年代生まれ、1990年代生まれの30年周期で次の世代が誕生しているパターンを考えてみましょう。

 

1930年生まれの世代といえば、幼少期はまだ戦前です。

日本が貧しく、苦しかったころを、直に知っています。

戦争も直に経験しました。

生まれたころは、ラジオが普及し始めたころで、人生の途中で、電話やテレビが普及していくのを目の当たりにしました。

 

1960年生まれの世代は、若いころを、良好な経済の中で過ごしました。

まだ、未来に明るい希望をもつことができていた時代です。

メディアはテレビや雑誌が中心で、携帯電話はありませんでした。

人生の途中で、携帯電話やインターネットなどのテクノロジーの発展を目の当たりにしています。

 

1990年生まれの世代は、好調な経済を、経験したことがありません。

前の世代がもっていたような、未来への明るい希望は、なかなかもつのが難しくなっています。

生まれたころから携帯電話やインターネットに囲まれ、それらに自然と接しています。

 

1990年生まれの世代から約30年後の現在に至るまでにも、携帯電話がガラケーからスマートフォンへ置き変わっていくなどの、大きな変化が起きています。

このように、一つの家族の3世代を見ると、30年周期で時代背景も価値観も大きく変わっていることがわかると思います。

 

一方で、今の世の中は、平均寿命がとても長くなっています。

平均寿命が短い社会であれば、次の価値観が現れる前に、前の世代の価値観をもった人々は退出していくことになります。

しかし、平均寿命が長い世の中においては、前の価値観をもった世代も、一生のなかで複数の新しい価値観の変化を経験することになります。

これらのことから、世の中の変化がとても大きくなっているのと並行して、人間の平均寿命もとても長くなっており、20世紀以降の私たちは、一生を、世の中の大きな変化の中で過ごすようになっているといえるでしょう。

 

 

 今の世代の状況がもたらす社会への影響

 

このような時代において、各世代の間で意思疎通を図る上で、気をつけておくべきこととはどんなことでしょうか?

前の世代は前の世代のことを直に知った上で今の世代をみられるけれども、今の世代は前の世代のことを直には知ることができません。

過ぎ去った過去というのは、映像や本などで追体験することしかできません。

同じように、前の世代の若いころを、その次の世代は直に体験することはできません。

一方で、前の世代は、生きる過程で、次の世代、またその次の世代の時代も、直に体験することができます。

このように、前の時代を直に経験できないことが、前の世代と次の世代の、双方への見方を不平等なものにさせています。

 

さらに、今は時代の変化が早いため、他の世代との間で、共通の価値観を共有することも難しくなっています。

一つの価値観にはまってしまうと、そこから抜け出せないこともあります。

自分とは別の世代の価値観を考慮せずに、自分の世代の価値観のみに立脚してものごとを考えてしまうと、別の世代との意見の不一致が起きてしまう可能性があります。

例えば、40代、50代になって、上の立場になったとき、通常であれば、今まで培ってきた経験を活用したいところですが、次の世代はもう別の価値観になっていて、自らの経験や価値観が通用しない、という事例が考えられます。

また、これほど多様な価値観をもった人々が同居している社会においては、誰かにとってよいと思われることが他の誰かの不利益になったり、誰かの価値観に基づいて語られていることが、他の誰かの価値観にはそぐわない、ということがより起こりやすくなっていると考えられます。

このようなことが認識できていないと、生きづらさにつながるようなこともあると考えられます。

 

 

 おわりに

1945年の終戦の年を境にして、価値観が大きく変わりました。

1990年代にバブルがはじけて、そのときまで当たり前と思われていたことが通用しなくなった事例がいくつもありました。

1995年や、2011年の震災の時を境にして変化した価値観もありました。

これからも、時代は刻々と変化していくでしょう。

世代間でうまく意思疎通を図っていくために、時代の変化が早いということを念頭に置き、前後の世代がどのような時代を生き、どのような価値観をもっているかを知ることが、今の時代にはより一層求められているといえるのではないでしょうか。

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

はじめまして

こんにちは

考えるカメと申します。

このブログでは、考えることが好きな私が、日々考えたことを書いていこうと思っております。

ブログ初心者です。

つたない部分もあるかと思いますが、温かい目で見守っていただきますよう、よろしくお願いいたします。