考えるカメの考察日記

自分の考えたことを、気の向くままに書いていきます。

世界が一つになるまで

「世界が一つになるまで」、という曲があります。

アニメ・忍たま乱太郎のエンディング曲でした。

 

サビの部分の、「世界が一つになるまで~ ずっと手をつないでいよう」というフレーズを聞くたびに、小学生だった私は、幼いながらも「世界が平和になればいいな」と思っていました。

 

この曲が発表されてから20年弱経ちましたが、当時と今の世の中を比べてみても、相変わらず争い事は絶えず、世界に平和が訪れて、世界が一つになるのはまだ先になりそうだ、と誰しもが思うでしょう。

 

ですが、当時と比べて、良い方向へ進展した部分も、あるのではないでしょうか。

 

この20年余りの間、ITの技術は飛躍的に発展し続けています。

スマートフォンが登場したことによって、世界との距離は、ぐっと縮まりました。

今後も、通信速度が向上するなどして、世界とつながることの障壁は、よりいっそう低減されていくことでしょう。

このように、技術的な面でいえば、世界が一つになることは、もうすでに現実的なレベルで達成されつつあるといえるのではないでしょうか。

 

 

また、一昔前には顧みられていなかったような人たちにも、光があたるようになってきています。

障碍(がい)をもった方々、LGBTQのセクシャルマイノリティーの方々、難病をもった方々、内向型の方々、HSPの方々などです。

障碍のある方、LGBTQの方、難病の方などが、差別をされず、徐々に社会で認知されるようになってきていることは、世界が一つになっていくうえで、大事なプロセスだといえるでしょう。

また、人による性格の違いというのを、内向型または外向型か、HSPまたは非HSPかというかたちで可視化し、認知してもらうことを進めることによって、人々の相互理解をよりいっそう促すことができるようになりました。

 

 

一方で、技術的なレベルではなく、より現実に根を下ろして考えてみると、同じ土地でたくさんの人種・民族がどのように共存するか、ということが、世界が一つになっていく上で、今もっとも問われているといえるでしょう。

昔からの課題であるともいえると思いますが、今世界中の多くの国において、違う人種・民族同士でどのように共存していくかが課題となっています。

 

例えば、

アメリカでは、人種差別の問題が今でも続いています。

・ヨーロッパでは、中東方面からの移民とどのように共存するかが問われています。

・中国にも、たくさんの民族がいます。

ミャンマーでは、たくさんの民族同士でどのように共存していくかが問われています(解決に向けて前進しつつあるようです)。

・アフリカなどの一部地域では、民族同士の対立で国がまとまらないところがあります。

イスラム教のなかで、スンニ派シーア派の間で対立が起きています。

イスラエルでは、ユダヤ人とアラブ人などが、どのように共存するかが問われています。

レバノンは多民族かつ様々な宗教を信じる人がおり、統治機構においては、大統領はキリスト教マロン派、首相はイスラムスンニ派、国会議長はイスラムシーア派から選ぶことで均衡を図っているそうです。

……など。

 

世界が一つになって平和になっていくというのは理想的ではありますが、今の人種・民族間の共存の難しさの現実を見れば、それがいかに難しいかがわかります。

おそらくこの問題は、すぐに解決していくのは難しいと考えられます。

しかし、世界が一つになっていくうえで、大切なプロセスであることは確かです。

今後、何十年、ひょっとしたら何百年かかるのかもしれませんが、このことに真摯に向き合っていくことを通じて、少しずつ世界が一つになるという状態に近づいていくことができるのではないでしょうか。

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

今の時代は価値観の過渡期にある

私と同世代の20代半ば、もしくは私より若い人たちに伝えたいことを書いてみます。

 

今の日本は、バブル経済崩壊以降、なかなか厳しい状況であるといえるでしょう。

右肩上がりの成長をしているわけでも、GAFAなどの巨大IT企業があるわけでもありません。

 

20年、30年ほどたった今でも、社会の一部分には昔の価値観の名残が残っており、新しい価値観と衝突する場面もしばしば見受けられます。

昔のよい部分を認めながら、今の時代にあった姿に社会をアップデートしていくのが理想的ではありますが、昭和の時代の価値観から脱却していくのは、簡単ではありません。

このようななかでも、昔から存在している企業が新しい価値観を取り入れたり、新しい価値観をもったベンチャー企業が登場してきたりしています。

旧い体質のままの組織もあれば、新しい価値観を取り入れている組織もあります。

 

今は、時代の過渡期です。

少しずつ、新しい価値観を取り入れる人は増えています。

(新しく生まれてくる人や、新しいことに理解がある人、など)

もし人につらい思いをさせている職場があるとしたら、それは、その組織が今の時代の価値観とあっていないからかもしれません。

選択肢は、思っているよりも、たくさんあります。

あなたを本当に幸せにしてあげられるのは、あなただけです。

もし今の生活に疑問を感じているとしたら、一点だけに固執せずに、広い視野をもって、自分を受け入れてくれそうなところを、探してみてください。

 

 

今は、決まった秩序が存在しない時代です。

こうすればうまくいく、という正解のない時代です。

思いついたことは、なんでもやってみるといいと思います。

 

今は、一人でも、行動を起こすことができます。

文章を書いたり、絵を描いたり、動画をつくったりして、ネットにあげてみるのもいいです。

しゃべるのが好きなら、音声配信サービスもあります。

あなたの思いに応えてくれる人が、現れるかもしれません。

 

そこまでするのはハードルが高いと感じるのであれば、もっと自分の好きなことを生活に取り入れてみたり、どのように生きていくか誰かに相談してみたり、といったことも立派な行動の一つです。

 

今の時代ほど、自分がどう生きていくかを、問われている時代はないと思います。

自分が理想とする生き方を思い描いて、行動していくことを通じて、自分のなかの正解をつくりだしていってほしいと思います。

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

刺激をもとに考える

日常的な行いというのは、「刺激」に置き換えて考えることができます。

 

・考えること。(何を食べるか、食事をつくる、どの服を着るかetc)

・味覚(甘さ、辛さ、苦さetc)

・音楽を楽しむ

・人と会う

・出かける

・ライブを楽しむ

・スリルやホラー

……など。

 

どの程度の刺激を得たいのかは、人それぞれ異なります。

また、刺激が強いものと、弱いものもあります。

 

食事や服について考えるのが過度な刺激になるなら、考えないように工夫してみるのもありです。

ホラーや辛いものが苦手なら避けるのと、余計に考えすぎてしまう部分を避けるのは、同じようなものと考えられます。

 

自分がどれくらいの刺激を許容できるのかを考えて自身の生活をみつめなおしてみると、新たな発見があるかもしれません。

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

世界についての2冊から気づかされたこと

こんにちは

先日、私は世界についての、ある2冊の本を読みました。

2冊を読んで、気づいたことをいくつか挙げてみようと思います。

 

 

 私が読んだのは、「FACTFULNESS」(ハンス・ロスリング他)と、「世界のニュースを日本人は何も知らない」(谷本真由美)の2冊です。

以下、本稿では、前者を「一冊目」、後者を「二冊目」と表記します。

 

                                                

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             FACTFULNESS

 

 

              

             

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  世界のニュースを日本人は何も知らない

 

 

まず、世界は少しずつ変わっていっている、という点についてです。

一冊目によると、私たちは、世界について悲観的に考えがちであり、貧困の人がまだまだたくさんいる、世界は悪い方向に向かっている、と考える人が多いそうです。

しかし、1800年以降の世界に関してのデータを見てみると、平均寿命が伸びたり、極度の貧困下にある人の割合が低下したりといったように、良い方向に向かっているといえる、様々なデータが存在するそうです。

 

また、二冊目において書かれていたことの多くに通じていたのは、ここ数十年余り、欧州を中心とした世界のどの国や地域でも、移民が増加している、ということです。

それに伴って、もともとその地域に住んでいる方々の比率が相対的に低下し、もともとの生活スタイルに影響を及ぼしています。

それほど民族が多様化していない日本では、他の民族と共存するということを普段余り意識することはありませんが、移民の流入に伴って民族の多様化が進んでいる地域と合わせて、世界では多民族の国が大多数であるということを、世界について考える際には、念頭に置いておくべきでしょう。

 

これらのことから、常に知識をアップデートしておかないと、世界は正しく捉えられないのだ、と実感させられました。

 

 

また、二冊目からは、今の日本について多角的に見る必要性を感じました。

今の日本の状況だけ見ている限りでは、バブル経済崩壊以降は停滞しているということは否めません。

しかし、海外と日本を比べてみれば、治安が良かったり、医療が受けやすかったり、識字率が高かったり、といったような点で、日本にも長所が認められるのも事実です。

このように、絶対的な評価と、相対的な評価の両方を活用すべきだといえるのではないでしょうか。

どんなことにも長所と短所はつきものです。

どちらかをことさらに強調するのではなく、良い点は良い点として認め、良くないところは真摯に受けとめて改善していくという姿勢が大事なのではないでしょうか。

 

 

また、一冊目からは、データを活用することの意義を感じました。

著者が扱っているデータというのは、手軽に入手することができるようなものばかりだそうです。

しかし、著者はそのようなデータを活用して、世界の人々のイメージしている世界が、いかに実態と異なるかという、とてもスケールの大きなことを、説得力をもった形で示しました。

 

約四十年前には、フランスの人口学者のエマニュエル・トッドさんは、人口動態からソ連の崩壊を予測しました。

近年では、河合雅司さんが、「未来の年表」シリーズにおいて、人口動態などのデータを活用し、未来の姿を描き出しています。

 

これらにおいて、活用されたデータというのは、そこまで特別なものだとはいえないのではないでしょうか。

 

いかにデータを入手しやすい状況であっても、誰しもがそれを有効活用できるとは限りません。

これから先、IoTの普及が進み、データの量はどんどん増えていくと予想されます。

データをいかに活用するか、ということが問われているといえます。

 

 

海外や統計についての知見を増やしていくことは、今後ますます重要になっていくと思うので、これからも学び続けようと思います。

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

今の時代を生きるためのヒント

こんにちは

今回は、ある3冊の本を通じて得られる、今の時代を生きていく上でのヒントについて考えてみようと思います。

 

 「営業はいらない」(三戸政和)

まず一冊目は、三戸政和さんの、「営業はいらない」という本です。

 

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                                          営業はいらない 

 

この本において、三戸さんは、今の大企業では営業の人員が過剰であるとともに、今まで営業が担っていた仕事はテクノロジーによって代替可能であると指摘しています。

そのうえで、営業の仕事をしている方たちは経営者の適正があるとし、そのまま会社にい続けるのではなく、自分で事業を始めることを薦めます。

そして、事業を行うにあたっては、大人数ではなく、少人数で行う方がよいと述べています。

 

 

「ひとりでも、君は生きていける。」(金川顕教

二冊目は、金川顕教さんの、「ひとりでも、君は生きていける。」です。

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       ひとりでも、君は生きていける。

  

金川さんはこの本のなかで、「企業してお金持ちになり、経済的に自由になる」という夢に向かって努力し、大学に2浪して合格し、在学中に公認会計士試験に合格し、大手の監査法人に就職し、在職中にビジネスを始め、会社を辞めて独立し、年商10億を達成するまでになり、夢を叶えた現在までをつづっています。

そして、夢を叶えることができたのは、夢を叶えるまでの間、周りから距離を置いて、ひとりで努力を続けたからだと述べています。

このような自身の経験から、上を目指したい、頭ひとつ抜け出したいと思ったら、ひとりで目標へ向かって努力していくべきだという、いわゆる「ひとり戦略」を提言しています。

また、今の社会状況のなかでは、『自分で自分を守る力、すなわち「ひとりでも生きていける力」を身につけておいたほうがいい」と述べています。

 (ちなみに、ずっと一人で生きろというわけではなく、『ある程度の時間をかけて次のレベルまで進んだり、成功をつかむと、同じような「ひとり」の成功者たちの間で、交流がはじまるのです。』と金川さんは述べています。)

 

 

 

『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(末永幸歩)

三冊目は、末永幸歩さんの、『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』です。

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                                   13歳からのアート思考      

 

この本において、末永さんは、今の時代において、「自分なりのものの見方・考え方」をもつことの必要性を強調しています。

多くの人は、美術館にいる時間をなんとなくでしか過ごせていないとし、

『「自分なりのものの見方・考え方」などとはほど遠いところで、物事の表面だけを撫でてわかった気になり、大事なことを素通りしてしまっている』

といいます。

そのうえで、

『じっと動かない1枚の絵画を前にしてすら「自分なりの答え」をつくれない人が、激動する複雑な現実世界のなかで、果たしてなにかを生み出したりできるでしょうか?』と問題提起しています。

 

このような考え方のもと、この本の本編では、「自分なりのものの見方・考え方」であるアート思考を体験するための6つのクラスが展開されています。

 

 

得られるヒント

では、これらの3冊から得られるヒントとは、どんなものでしょうか?

 

今私たちは、変化の激しい時代に生きています。

一つの会社に入れば一生安泰、というのは難しくなっています。

少子高齢化が進んでいる日本においては、一人ひとりがもっている力を生かしていくことが大事だといえます。

そのようななかで、営業をされている方、組織に埋没している方などの潜在的な力を、今の社会における問題の解決のために活用できれば、社会を少しでもよい方向に変えていくことができるのではないでしょうか。

 

また、今は、たった一人のアイデアでも、世の中を一変させられる可能性がある時代です。

「個人」の力は、強まっているといえるでしょう。

突飛な考えであるがゆえに、自分の考えに賛同してくれる人が、現れない場合もあります。

信念をもって行動していくためには、自分を強くもつ必要があるといえます。

そういったことから、一人で行動していく力というのも、今の時代には求められているといえるのではないでしょうか。

 

そして、今の世の中では、教育の分野において「知識偏重型」から「思考力重視」への動きが出ているように、要求されている答えをつくる(求める)力ではなく、「自分なりのものの見方・考え方」をつくっていく力、つまりアート思考が必要とされています。

 

 

アート思考的な考え方で世の中を見つめ、一人(少人数)で信念をもって行動していく。

今回ご紹介した3冊からは、今の世の中を生きていく上で、このようなヒントが得られるのではないでしょうか。

 

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

テントウムシに気づかされたこと

こんにちは

先日散歩をしていたら、ある場面に出会いました。

そこは人がめったに通らないような田舎道で、道のまわりには草原が広がっています。

田舎道は、アスファルトで覆われています。

その道と草原の境目には、アスファルトで段差ができています。

その段差の根元からは、草が何本か生えていました。

 

イメージとして、こんな感じです。(下手な図ですみません…。)

 

 

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私が道を歩いていたら、一匹のテントウムシが横切ってきました。

草原の方向に向かって進んでいきます。

私は、「あの草原の中にいけば、テントウムシも気持ちがいいだろうな。そのまま進んでいけば、たどり着けるぞ」と考えました。

私は、テントウムシが草原に向かって進んでいくのではないか、と勝手な予想を立てていました。

 

結果として、テントウムシはどうしたか?

 

 

 

 

 

 

 

テントウムシは、段差の根元に生えていた草に、よじ登りました。

草と、たわむれています。

 

その瞬間、私は、自分の思い込みに、気づかされました。

人から見れば、景色の全体が見えているので、草原があることもわかります。

しかし、テントウムシには、目の前の景色しか、見えていません。

飛んでみないと、草原があることは、わからないでしょう。

テントウムシは純粋に、目の前の草を選んだのです。

 

また、自分は、段差や草のことは、あまり考えていませんでした。

一方で、テントウムシは、目の前にその対象をはっきりと捉えていたことでしょう。

 

人からの視点に捉われていたことに、気づかされました。

 

 

また、もう一点、気づいたことがあります。

雑草は一見すると、何のために生えているか、わからなかったりします。

段差の根元に生えている草も、ただ生えているだけに見えます。

しかし、テントウムシは、この草を選びました。

ただ生えているだけでも、生えてさえいれば、昆虫などが訪ねてきてくれることもある、といえるでしょう。

 

このように考えると、人間社会にも通じる部分があるのではないかと思いました。

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

不可逆を通じて「書く」ことを考える

私は、慎重な性格です。

なぜ慎重になるのかを考えてみると、一度決めてしまうと後戻りできない、つまり、結果が不可逆的なものになってしまう恐れのようなものが背景にあると考えられます。

このように考えて、私は不可逆というものに関心を持ちました。

今回この不可逆という概念に着目して、「書く」ことの意味の変容や、あるべき姿について考えてみたいと思います。

 

 

不可逆について

不可逆というのは、一度してしまうと元に戻ることができない、取り消せないことです。

ものを捨てること、大きな決断をすること、生き物の生と死(少しシリアスですが)、時間の経過、といったものが挙げられます。

また、液体をこぼしてしまったり、ガラスなどを割ったりしてしまうと、元に戻せません。

このような、不可逆的なものごとに直面したとき、私たちには、思索の時間がもたらされると考えられます。

 

・少し思い入れのあるものは、捨てるかどうかとても悩みます。

・極端な例でいえば、1年海外で生活するかどうかといったら、様々な点を検討する必要があるでしょう。

・生き物の生と死に関しては、様々な哲学が生まれています。

・液体が入っているものや、壊れやすいものを持ち運ぶときには、落としてしまわないように、頭の中では、周囲を確認したり、手元を見たり、といったように、様々な考えを巡らせているはずです。

 

このように、不可逆的なことには、ものごとを慎重に考えさせる作用があると考えられます。

 

 

 

不可逆と、「書く」こと

では、不可逆と可逆という概念を使って、「書く」ことについて考えてみます。

 

これまでの歴史のなかで、何かを「書く」という場合には、一般的に、紙に筆で書いてきました。

一度書いてしまうと、取り消すことができないため、書く場合には、事前に内容をよく考えて、慎重に書く、という習慣が根付いていたと考えられます。

「書く」ことは、不可逆的なものであった、といえるでしょう。

 

しかし、パソコンや携帯電話が普及してから、手軽に文章を「書く」ことができるようになりました。

書くことも、消して書き直すことも、自由自在にできます。

これは、可逆的なものであるといえるでしょう。

 

つまり、「書く」ことは、従来は不可逆的なものでしかなかったのに、可逆的なものとしても扱えるようになった、と考えられます。

 

加えて、世の中に文章や情報を発信するということが、従来は出版社などの限られた機関からでしかできなかったのが、今はネットを使って誰でもできるようになっています。

かつては、慎重に物事を書き表して、限られた機関を通じて文章などを発表していたのに対して、今では気軽に文章を書いて、誰でも自由に文章などを発表することができるようになっている、といえるでしょう。

 

今現在、SNSの利用の仕方について様々な問題が指摘されています。

今必要なのは、可逆的なものとして扱えるようになった「書く」ことを、不可逆的なものとして扱うという姿勢ではないでしょうか。

 

不可逆的なものとして扱っていたころのように、

 

事前によく考えて、本当に発信してよい内容かどうか、誤字脱字がないか、感情にまかせて書いていないか、などをよく確かめる

 

といったことを今一度心がける必要があるといえるのではないでしょうか。

 

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。