こんにちは
先日散歩をしていたら、ある場面に出会いました。
そこは人がめったに通らないような田舎道で、道のまわりには草原が広がっています。
田舎道は、アスファルトで覆われています。
その道と草原の境目には、アスファルトで段差ができています。
その段差の根元からは、草が何本か生えていました。
イメージとして、こんな感じです。(下手な図ですみません…。)
私が道を歩いていたら、一匹のテントウムシが横切ってきました。
草原の方向に向かって進んでいきます。
私は、「あの草原の中にいけば、テントウムシも気持ちがいいだろうな。そのまま進んでいけば、たどり着けるぞ」と考えました。
私は、テントウムシが草原に向かって進んでいくのではないか、と勝手な予想を立てていました。
結果として、テントウムシはどうしたか?
テントウムシは、段差の根元に生えていた草に、よじ登りました。
草と、たわむれています。
その瞬間、私は、自分の思い込みに、気づかされました。
人から見れば、景色の全体が見えているので、草原があることもわかります。
しかし、テントウムシには、目の前の景色しか、見えていません。
飛んでみないと、草原があることは、わからないでしょう。
テントウムシは純粋に、目の前の草を選んだのです。
また、自分は、段差や草のことは、あまり考えていませんでした。
一方で、テントウムシは、目の前にその対象をはっきりと捉えていたことでしょう。
人からの視点に捉われていたことに、気づかされました。
また、もう一点、気づいたことがあります。
雑草は一見すると、何のために生えているか、わからなかったりします。
段差の根元に生えている草も、ただ生えているだけに見えます。
しかし、テントウムシは、この草を選びました。
ただ生えているだけでも、生えてさえいれば、昆虫などが訪ねてきてくれることもある、といえるでしょう。
このように考えると、人間社会にも通じる部分があるのではないかと思いました。
最後までお読みいただいてありがとうございました。